「得する方じゃなく、幸せな方を選びましょう」の解釈。

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「得する方じゃなく、幸せな方を選びましょう」の解釈。

今回はコラム的な。

 

このタイトルの「得する方じゃなく、幸せな方を選びましょう」という言葉を見た時そのとおりだな、と思った。

というか、潜在的に思っていた、でも開けていなかった引き出しを開けられた感じ。

 

…っていう話をつらつらしていきます。

この言葉に共感した人とか、私に興味のある(そんな人がいるのか?)だけ読んでくれたらうれしい。

 

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「得する方じゃなく、幸せな方を選びましょう」を見て感じたこと

「得する方じゃなく、幸せな方を選びましょう」を見て感じたこと

さっそく本題。

この言葉を見て感じたこと。

 

目の前の得だけを見ていては幸せになれないということ。

 

物の貸し借りを例に考えてみよう

目の前にある得。

生きていれば”得なこと”を提示される場面が確実に出てくる。

 

例えば、誰かから物を借りたとして返すか素知らぬ顔をしてもらってしまうか(相手は忘れてるかもしれないし)の場面になったとする。

 

この時点での得する方は”返さないこと”になるわけだが、この選択をすると後々幸せになれない。

 

信頼を失って幸せになれない

なぜ幸せになれないか。

…と、まずここで「損する(不幸せになる)のはとられた相手の方だけでは?」としか考えられない人がいたら…正直ちょっと引く。

 

まひろ
まひろ

“道徳”知らずに大きくなったんだろうな。

 

まあ、わかってる人も多いと思うのだが、返さない選択をすることで最悪の場合信頼と人脈を失う。

 

理由は言わずもがなだが、物を盗むことは普通に泥棒。

誰も泥棒と友達ではいたくない。

 

“いや、借りてるものを返してないだけで泥棒とは違う…”と本気で言う人がいるかもしれない。

 

その理屈を唱えてもらうのは大いに結構だけど、結局信頼を失うから結果は同じ。

 

まひろ
まひろ

非を認めないだけの自己防衛は殻に閉じこもるだけ。白い目で見られて終わりです。

 

罪悪感で幸せになれない

前項では”信頼を失うから幸せになれない”という話をしましたが、それだけではない。

私の思うもうひとつの幸せになれない理由はずばり”罪悪感”。

 

ここからは私なりの「普通の感覚を持っている人」前提で話す。

 

あなたが何かを借りて返していないことを覚えていた場合、心の底からその相手と楽しめないはず。

理由は、ふと思い出した瞬間に何か申し訳ない、でも言い出せない…みたいな気持ちになるから。

 

まひろ
まひろ

会えば楽しめると思っていた相手と楽しくなれないストレスはかなり大きい。

 

もう一つ言えば、その借りている物を使うたびに思い出したら…やはり気分の良いものではないだろう。

 

「嫌いな相手だったら別によくない?ざまぁって感じww」と思った人。

嫌いな人の顔を思い出してあなたは幸せかい?

 

その瞬間の得だけを考えると、

  • 信頼を失って幸せになれない
  • 罪悪感が付きまとって幸せになれない

 

得する方の逆は損する方?

得する方の逆は損する方?

「得する方じゃなく、幸せな方を選びましょう。」の言葉を見た時に、社会人の人なら

“きつい仕事を若いうちから引き受けて…”

とか思うかもしれない。

 

ですが、私は損する方を選ぶ必要はないと思う。

 

得する方の逆は損する方?

得する方と2択になるものと考えた時、大抵は損する方と考えたくなると思うが、果たしてそうだろうか?

 

私は違うと思う。

 

のぺ普通
のぺ

どーいういみ?

まひろ
まひろ

単純な2極化はしてないってことですね。

 

 

例えば、先ほどの物の貸し借りで考えた時、返すことは損だろうか。

単に元に戻るだけ…とは考えられないだろうか?

むしろ、借りていた時期があるぶん、体験できて借りる前よりお得なはず。

 

得の逆を損と考える理由は?

得の逆を損と決めつける人は多いと思う。

その理由は、単純に相対で考えてしまうから。

 

ということは、潜在的に人間は得する方を判断し、得する方を基準にものを考えていることになる。

 

のぺ優しい笑み
のぺ

得を考えることは悪いことじゃないんだね!

まひろ
まひろ

大事なのは制御することだと思います。

 

損する方をあえて選ぶ必要はない

少し話がそれてしまったが、私が言いたかったのは

“得の逆は決して損だけではないからあえて選ぶ必要ない”

ということ。

 

そこで、最初の社会人の話が出てくるわけだけど、この”キツい方を選べ”っていうのは日本古来からある美徳の観念だと思うんですよね。

 

まひろ
まひろ

悪く言うつもりはないですが、正直この文化を続ける必要はないと思うのです。

 

損しない道を探そう

今までキツいことを選んで成功を勝ち取った(と思っている人)は”あの頃があったから”と口々に言うはず。

でも、そんな人たちだってホントに苦労したかったかと言われるとそんなことはない。

 

まひろ
まひろ

これは私のひねくれた考えもあるかもしれないですが、“キツいことを選べ”と言う人はどこかで”なんで自分だけ”とも思っていると考えています。

 

言ってしまえば、損することは嫌だけど、それ以上に”自分だけ”が損するのが嫌なのですよ。人は。

 

そして、損したと考えたくないから”正当な理由”に昇華させて自分を納得させている。

人にも同じ経験をさせたいのは、仲間がいる安心感とか、自分と投影して正当化できるとかいった理由があるのではないでしょうか。

 

幸せな方を選ぶススメ

幸せな方を選ぶススメ

ここでついに登場するのが幸せな方。

 

損得といった考えに振り回されず、自分が

“いいな”

“少し先を考えたら幸せになれそう”

と思う選択肢を選ぶこと。

 

もっと言えば、探り当てること。

 

探り当てる、といった理由は2択で提示されることがほぼないから。

先ほども話したとおり、人は得を基準に考えてしまうので、もう一方の選択肢は損を提示してくる。

その選択肢を受けて、自分なりに一番幸せな未来が見えるものを選ぶことが大切なのだ。

 

幸せな方を選ぶことで私はどう変わった?

幸せな方を選ぶことで私はどう変わった?

幸せな方を選ぶ、ということを念頭に置いたことで、私の意識も変わった。

具体的には、やりたいことに愚直になったと思う。

 

具体的には

前:収益狙いのブログを書く

後:ブログ内容を自分がたのしいものに変えた
VTuber(のサポート)を始めた

 

こんな感じ。

この場合、得する方はまちがいなく前者だと思う。(続けたから必ず得するわけではないけど)

 

収益ブログは幸せではなかった?

収益ブログを書くのは、幸せかと言われればけっこう辛いこともあった。

自分ではあまりおもしろくはないことを書き続ける感じ?

物を売って収益を得るために。。

 

はっきり言っちゃうけど、私、物を売るのあんまり向いてないというか好きじゃないんよね。

 

自分が何かを作り出して「これはいい!」と思ったものならばぜひぜひって言えるんだけど。

そうじゃなければ、ホントに良い!と思ってもうまく伝えられないし、結局はその人その人好きなものを選べばいい、と思ってしまう。

 

まひろ
まひろ

まあ、自分がいいと思ったところは素直に伝えるんやけどね。

 

幸せな方を選べば収益ももしかしたら…?

都合のいい考え方やけど、幸せな方を選ぶことで収益も出るかも…と思ってる。

当然多くはないやろうけど。

 

理由は

  • 自分が好きなものを素直に紹介できる
  • 楽しくおもしろく書ける

 

やっぱり、好きなものなら熱意でプレゼンできるし伝わりやすくなるよね。

 

まひろ
まひろ

楽しくおもしろく…っていうのは、読む人が増えれば相乗効果で…って思ってるだけ。

のぺ笑う
のぺ

書きたいことならいいじゃない!

 

幸せな方を選んで後悔はしてない

収益が出づらくなるかも、と思っても後悔は全くと言っていいほどないんよね。

むしろ解放された感。

 

収益ブログをずっと続けて収入を増やすよりも、今やってる”人を楽しませる”に従事する方が自分としては気分がよい。

 

まひろ
まひろ

まさに幸せ。

のぺ優しい笑み
のぺ

しかも好きなこと書いてからの方がドメインパワー上がったというね。

やりたいことに愚直→自分に素直になったことで幸せになった

 

おわりに

まとめ

最後は私の話になってしまったのだが、幸せな方を選ぶことで人生の満足度が上がっているのは間違いない。

 

まひろ
まひろ

ものすごく後になって”あの時こうしていれば…”と路頭に迷ってるかもしれないけど笑

のぺ優しい笑み
のぺ

それでも追求したいことがあるんだよね!

私はこれからも楽しいことを追求していこうと思います。

 

なぜなら、未来はわからないけど”今”は確実に存在してるから。

 

このブログが少しでも誰かに響くといいな。

 

 

 

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